スマブラ4の振り返り。「僕の青春」
どうも。ぱせりまんです。
スマブラ4締め括りの記事ですね。
こういう記事って大好きで昔は1年毎に書いてたこともあるんですよね。実は。
ただ動画と違って僕のブログって伸びたためしが本当に1度もなくて、すぐモチベーション低下するんですけど。
今回はなんでこういう記事を書いてるのかも書いていくつもりなので、よろしければ読んでくれたら。
ありがちな表現ですけどスマブラforWiiUは一言で表すなら僕の「青春」だったと思います。
高校時代、特に発売直後の2年生~3年生の時期は休日の9割はこのゲームに使ったと思うし平日の夜もオンラインでほぼ毎日スマブラ。飽きもせずず~~っとやってました。
実は僕、スマブラ4は所謂「新規勢」ではなく前作のスマブラXを1年くらいガチでやってたんですよね。ガチでやってると言っても、オンラインで毎日やるくらいでオフ大会には1回しか参加していませんが。スマブラXの時代を前期・中期・後期・末期と四分割するならば後期~末期の境くらいだったと思います。
段位戦で3段まで行き、ある程度プレイした時点で飽きて他のゲームに移った感じですね。
そんな経験も生きて、スマブラforは3ds・wiiU共にいいスタートダッシュを切れました。
3dsは1度だけウメブラの参加して、まああまりいい結果ではなかったんですけどそれでも手ごたえはあってwiiU初のウメブラはベスト48だったか32だったかを取れました。
当時のこの数字にどれだけの意味があったのかいまとなってはよくわからないことですし当時は大会のレベルを客観視できる位置にもいなかったため数字そのものに意味はありません。ただその大会の帰り、ふと思ったんですよ。
「あぁ、このゲーム結構勝てるな」って。
結構ってのもまた曖昧な話で、正直今くらいやれるとは思ってませんでした。
実際負け惜しみだったのかもしれないし、結果論かもしれないし、今も別に勝ててなくね?とかいろんな見方があると思いますが、確実に手ごたえがあったんです。
当時僕は弱キャラと呼ばれていたドクターマリオを使用していたんですけど、発売直後からずっと使っていたこのキャラからメイン変更の決断をした時もこの時です。
そして新しいメインキャラはピットとなりました。
当時も今も、なんでこのキャラだったのかはよくわかりません。
ドクターマリオとは全然動き違うし、特別強いわけでもなく....ただ楽しかったんですよね。毎週宅オフに通い始めたのがこの頃です。
ドクマリをやめて次の週から、僕は毎週「からいば宅」に通うこととなりました。
土曜日の昼に行き、日曜の夜まで対戦して帰る。これを毎週。
平日は動画を見て、オンライン対戦。
当時ピットといえばあーすさんの時代(今でもそうだけど)だったんですが、僕はnairoのピットばかり見ていました(しかも1つの試合をずっと)
今は昔よりマイルドになりましたが、今でも残っている変なこだわりで基礎・イメージを学ぶ時の動画は僕、海外の対戦動画しか見ないんですよ。
日本勢のこの人しかやってない動きがある。ってなったら渋々見るんですけど笑。
僕は日本勢のスマブラプレイヤーで動きが好きって人はあんまいないんですけど、海外にはたくさんいるのでそっちに惹かれすぎてしまった影響ですかね。
まあとにかく動画で予習、宅オフで実践、オンラインで復習。当時はスマブラしてればとにかく楽しかったので正確にこの3つを意識してたわけではないですがイメージはこんな感じで、がむしゃらにプレイしてました。
これを1ヶ月繰り返して迎えたウメブラ。
前回のウメブラと違って、予選落ちがあったんですけど、この予選がもう壮絶。
その時のメンツがこれ。
Oブロック:ジル, たまにゃそ, きぃ, Links, ぱせりまん, しゃん, SSKING, モミジ, SHIG | JUN , なら
当時プレイしてた人ならわかると思うんですけど、だいぶヤバかったんです。
この中から4人。誰も僕が突破するとは思ってなかったと思います。
しかし接戦を制しまくって予選を突破、スマ界で初めて
「よっしゃあああああああああああああああ!」ってなりました。
この時のウメブラはベスト32。この人数このメンツでの32は僕の中で結構特別でこの日の夜はトーナメント表を開いてにやけながら寝落ちしました。
宅オフを通してスマ勢をたくさん知り、プレイヤーのレベルと今の自分がどの位置に属すのかをイメージできていたので前回とあまり変わらない数字でもこんなに喜べたんだと思います。正直今の自分にはできすぎた数字でした。
ちょっと調子乗ったりもあってか、もうこの動画から学ぶことは何もないなと思いnairoのピット動画は開かなくなりました。プレイ時間に変化はないですが次第に動画を見る時間は減り、次のウメブラはベスト64。
今の自分にとっては32も64もあんま変わんないんですけど、当時この辺の数字ばっか取ってた身からすると悔しくて悔しくてしょうがない。
まだ3回目とはいえ、wiiU最低の結果ですからね。
悔しくて気が気じゃなかったです。冷静に考えれば妥当な数字なんですけど笑。
これ以降、動画を見る時間は結局あまり変わりませんでしたが、日常でスマブラのことを考える時間が増えました。
「あぁ、こういうことができるかも」なんて新しい発想で。nairoの1つの動画だけで得るにはあまりに足りない、けれど海外勢の動画以外見たくない。なので自分で考えよう。そんな考えからだったと思います。
慢心の消えた僕は、なかなかできる男だと自負しています。
次のウメブラは快挙のベスト16。初めて配信台に呼ばれ少しだけビッグになった大会でした。正直この時のトーナメントは恵まれてたと記憶していますが、それでも結果は結果。めちゃくちゃ嬉しくて最も思い出に残ってるウメブラのうちの1つでもあるんですが、この大会で事件が起きたんです。
当時同じからいば宅に通っていたスマブラ勢で実力も近しい存在だと思っていたファルコン使いのピチさんがベスト8取っちゃったんですよ。
当時この人とは1番スマブラしてて、フリーでもまあ4:6くらいの勝率で負け越しだった記憶があるんですが、だからこそライバル視してたんですね。とても。
からいば宅やほかの共通の知り合いも、当然みんな僕への「ベスト16おめでとう!」よりピチさんへの「ベスト8おめでとう!」のが熱いわけです。いや僕もおめでとうって思いましたけど。なんだか少し複雑でした笑
まあなにはともあれベスト16、いい手ごたえでした。
直線ではないですが、おおよそ右肩上がりでしたからね。実力の伸びは。
この次のウメブラもベスト16、その次もベスト16といった感じである程度強い人も1回は倒せるようになってきました。ただこの辺からはさすがに右肩上がりの伸びも止まってきて、停滞してた。
8月に入るころには、毎週宅オフ通うということもなくなってきてました。
ていうか正直に言うとスプラトゥーンしてました。
スプラトゥーンにハマって8月のウメブラも微妙な成績、9月に開催された初の大規模ウメブラもシード枠をもらうも微妙な成績。8月はウメブラが2回開催されて、後半のほうはベスト16だったけど手ごたえなし。
なんていうか、停滞することで飽きてしまってたんだと思います。
本当に傲慢な悩みというか、今までの調子が良すぎただけな上努力もしてなかったんで停滞して当たり前なんですけど。
ただこんなうだうだなスマブラライフにも終止符が必要です。
11月に開かれるウメブラはニコニコ闘会議予選という事が発表されました。
これはモチベ上がる!と思ったんですけど結局スプラトゥーンしてたんですよ。
まあなんとかなるやろの精神で。
結果として11月のウメブラは多分スマブラwiiU史上最低の記録でベスト96。
予選は1位通過したものの、本戦では1勝もできず敗退。
しかも敗者側で負けたのが身内のZ~たんだったのでとても悔しかった。
この時からまた火がついて、なりふり構わず強くなろうと決心。スプラトゥーンをやめました。
12月に関西で開催されるPreKVOとその次の週のスマバト闘会議予選に申請し、2週間連続でにえとの宅にお邪魔しました。
とにかくひたすた対戦してにえとのさんにアドバイスをもらう。
にえとのさんのアドバイスって本当にすごくて、具体的な試合内容の解説だけに飽き足らずそのキャラ毎の「こうしたらいいんじゃない?」「ここを甘えてる」って的確に教えてくれるんですよね。とりあえずそこだけを意識して、治ってきたと思ってもまだ勝てなかったらアドバイスを求める。
とりあえず勝てない人はスマ宿行ってにえとのさんに対戦してもらえば?って思うレベルです。
まあそんな甲斐もあってか、12月のPreKVOでは3位、スマバトは初のベスト12、ウメブラは最高記録のベスト6までいけました。
めちゃくちゃうれしかった。この頃から僕の名前を知る人が少し増えたかな?と思います。
明らかに一皮むけて、上位勢の玄関に立てたかなって思ったんですけどこの頃からあるい思いが立ち込めてきます。
「ピットあんまり強くないかも...(楽しくないかも...)」
12月はピットと同時進行でシークもたくさん使ってたんですよね。
トーナメントをうまく勝ち進めたのはシークの影響も強いと思います。
楽しむためにやってるゲームで、楽しくないのは意味がわからないという理屈で次の大会はその時1番楽しかったフォックスとシークで大会に臨みました。
まあ少し勝てちゃって、ここでだいぶ僕の慢心が始まるわけです。
ていうか12月に立て続けに好成績を取って「これ以上はないだろうな」と思ったんですよね。
なのでこれ以降はピットだったりシークだったりフォックスだったりとだらだらスマブラしてました。
ここまでが2016年3月の話で、4月以降は受験勉強に勤しみました。
浪人もどきみたいなことをして、スマブラはあんまりしないけど大会には顔を出す。
当然勝てません。まあそこに不満はなく、イベントとして大会を楽しんでました。
キャラ選びのおかげか、チームだけはなぜか全くやってなくて勝てちゃったんで
大規模チーム大会で3位とかウメブラチームで優勝とかもしちゃったんですけど。
ていうかスマブラXからチームが大好きだったので、スマブラしてなくてもチーム力だけなら経験値がだいぶたまってたんだろうなって感じ。
まあなんやかんやの1年でタイマンは特に何事もなかったです。ただこの年は知り合いのプレイヤーが海外にたくさん招待されていたので、海外大会を見るぶんには超楽しかったですね。
次にまじめに臨んだ大会は次の年の2月に海浜幕張で行われた闘会議本戦をかけた当日トーナメント。久々のタイマン大会、キャラはその時1番たのしかったマルスで出場しましたが速攻で負けました。受験から解放されたので次はだれをメインにしようか...特別な決断はなくその時1番勝てたDDがなあなあでメインになり、なあなあで使ってました。今まで使い手の少ないピットだったので、このDDに変えてからは苦しかったです。
性能には文句はないんですが僕のやってなかった1年間に煮詰まってるのもあったり、一時期とてもヘイトのたまっていたキャラだったのもあったのでみんなの対策度がすごい。甘い行動を最大リターンで的確に取られます。こっちは知らない事が多いので、大会では本当に全然勝てずたまにベスト16とかあっても「苦しいなあ」なんて思いながらやってました。とりあえずzeroの動画を見ながらプレイは続けてたので、闘龍門は毎回一桁、3位~5位くらいまでなら常連とはなれたんですが結局平日大会。
ウメブラでは全然勝てません。結局昔ほどの情熱がないことを察して、努力もせずただ悔しがるための趣味ならやめてしまおうかなと考えました。
ていうか8月ごろからは彼女と同棲も初めて、気持ちはスマブラどころじゃなかったんですよね。それでも青春をささげたコンテンツですから、そう簡単にはいかず...なあなあでプレイする日々が続きます。
そんなある日、やさいかきあげさんから「frostbiteのルームメイトを募集してるのでよかったらどうですか?」と声をいただいて、いい機会なので海外に行って、そこでこのゲーム続けるかどうか結論を出そうと思いました。
ホテル代だけは浮くけど他は実費なので、親に土下座しましたね。
このお誘いを受けたのが11月ごろで、ちょくちょく宅オフに通い始める事となりました。
といっても毎週なんてことはなく、いけるときに行く。みたいなイメージです。大会も大した成績は残せずまあこんなもんかって。
明らかに情熱がなかったです。このままゲームが続けばベヨネッタが最強になることを悟ってか、界隈全体もモチベの低下が感じられて勝っても素直に喜べる回数が減っていきました。界隈全体のモチベ低下に関しては僕の勝手な思い込みなので失礼でしたらすみません。
海外に行く決心をしたはいいものの結局やる気が出ず、1月はなんとかスマバトに行きましたが特別練習をしたわけではなく、2日連続開催だし行くか!とノリで決めた感じ。彼女が往復の車を運転してくれて身内だけで行けたので旅行感覚でしたね。
まあ1日目は普通に負けて2日目はちょっと勝って12くらいかな?
それでも手ごたえはなくEVOjapanも似たような結果。ベスト32くらい?
1年間DDを使い続ければある程度勝ててくるわけですが、勝ってる理由はよくわからず負けてる理由はよくわかる。そんな麻雀のようなスマブラばかりしてたので確実に勝てる手ごたえを感じ取れないまま1月後半を迎えます。
ここで僕のスマブラ史上最大の危機が訪れます。
frostbite参加するはずだったMkleo、nairo、ally、Voidがみんな闘会議のために日本に来るとかいい始めます。
苦しい。so,僕は苦しかった。
皆さん、海外大会に行くのって何が目的ですか?
海外でどこまで通じるのか、有名勢の試合を見たい、海外大会の雰囲気を味わいたい、スマ勢身内と旅行のようなもの。まあこれらが理由に挙げられると思うんですけど、僕は「せめて勝てないなら、生で最前線で活躍するプレイヤーの試合を見たい!」それをモチベーションに海外に行くつもりでいたんです。今年はfrostbiteの日本人参加者も少なく、仲のいいスマブラ勢はいても所謂身内のような存在はいなかったので旅行ともなんか違う。ここで僕は「勝たなきゃ楽しめねえ....」こうなります。
そんな風に思ってからの行動は早かったです。
きしゃさんとにえぶち宅に2週間泊まり込みでお邪魔し、修行しました。
So,にえとのさんのアドバイスをもらうために。
僕は強くなった....さながら精神と時の部屋から出てきたトランクス。
しかしこの時の僕に慢心はありません。
その次に迎えたウメブラは闘会議の関係上何人か強者が抜けていたけれどベスト6。
それも昔の6とは違い煮詰まった環境下でしかもルーザーズランだったので手ごたえは
しっくりときました。その後の闘龍門でもあまりいい成績ではありませんでしたが手ごたえは確かにあったので自信をもって海外に臨みfrostbite2018はベスト16でした。
まあ完全に妥当って感じで悔しかったけどスカッとしましたね。
もっと勤勉さを重ねていればいい成績だったかもしれないけど今の情熱でできる最大限は発揮できたと思う。
まだもう少し続くけど大会結果の流れとモチベーション状況としてはこんな感じでした。
後半かくの飽きて結果だけだらだら書いたけどこの大会以降はほぼDD固定で蛇足のようなものです。
1月後半~2月前半のやりこみ貯蓄だけで今は戦っているので、成績は悪くないですが運がいいだけっす。
やる気のある時だけ勝ってるように見えますけどちょくちょくやる気のない大会も勝ってればやる気のある大会も負けてます。
まとめてみるといいゲームに出会えたと思う。
この界隈で出会った人でゲームやめても付き合いがありそうな人は数人いるし青春を捧げた価値があったかどうかって聞かれたら、普通に高校生してた世界線があったとしても多分このルートが1番良かったんじゃないかな?といえる。
なにより純度の高い気持ちをたくさん感じ取れたんですよね。
人間生きてるとどうしても損得勘定で物事考えてしまいがちだと思うんです。
人間関係でも、何をするにもたいていのことは。もちろんこれが薄い人、濃い人がいるとは思いますが。いろんな事が絡んできたら、ごちゃごちゃ考えずにはいられない。そんな僕にはとってもスカッとするいい趣味でした。
大会中の試合ってのはプライドを全賭けした「勝負」なんですよね。
勝った奴がすべてだしそれ以外になにもいらない。ただ相手に勝って「俺はお前より強いんだ」ってことを証明したい。負けた奴がなに言っても意味ないですからね。
この勝ちたいって気持ちはもちろんいろんなことを含んでるですが、大会の試合中に感じ取れる勝ちたいってのはこのごちゃごちゃしたものが限りなく混ざっていない純度の高い感情だと自分は考えていて、だからこそ気持ちのいい世界だと、こんなことって他にないなって。うまく伝わなかったらすみません。あくまでの自分の感覚的な話なので、うまく言語化できてないと思います。
この記事を書いてて思ったんですけど、やっぱりfrostbite付近の自分と発売から1年間の自分はとってもスマブラを楽しんでいるなと思う。スマブラそのものもそうだし勝負事を純粋な熱として、勝った負けたをして楽しんでいる。
今年は焼肉キャンペーンのためにyoutubeを始めて、そっち方面でもほんの少しだけ知られましたがやっぱりなんか違うっていうか、有名になりたくて、承認欲求を満たすためにスマブラを利用しすぎてしまって、もったいないことをしたなと。
もちろん大会で勝ちたいというのにそういう欲求がないわけではないですが、まずは勝ちたいはずだったんです。
有名になるのって気持ちいいです。僕も動画が伸びてるときはうれしい。伸びたの1回だけですけど。
でも僕は最後に自分が楽して気持ちよくなろうとするためにスマブラ4を利用してしまい、謝りたい気持ちがあります。ごめんなさい。
新作は気持ちをリセットさせていきます。多分いまなんかより全然勝てないと思う。
でも昔みたいな気持ちでプレイできるならそっちのほうが価値があります。
このブログもその始まりのようなものです。昔はオフレポとかも書いてたんですよ。
伸びると思ってない、でも楽しいから書く。今までの動画やブログっていうのは
人が見て、どう思うかでやってました。前提として僕が楽しくなきゃしょうがないんです。だからとりあえずは楽しみます。
wiiUも1ヶ月前に売りさばいて、全然プレイできてないですしギリギリまで参加を迷いましたが卒業式のような感覚でウメブラファイナルは参加しようと思います。
今回はこのへんで。
ありがとう!スマブラ4!!!!!!